川崎市多摩区桝形6丁目
稲田登戸病院跡地.前にひっそりと建碑されている
『高浜年尾(たかはま・としお)』句碑
晩年、当時の稲田登戸病院にご入院なされていました。
日本の俳人『高浜年尾(たなはま・としお)』1900年(明治33年)ー1979年(昭和54年)
東京神田猿楽町に生まれました。
高浜虚子の長男。
「年尾」は、正岡子規の命名。
小樽商業高校(現在∶小樽商科大学)卒業。
句作は、父(虚子)の手ほどきを受けて中学時代から始めました。
1938年(昭和13年)「俳諧」を発行して連句を始め1939年(昭和14年)より再び俳句に専念しました。
1950年(昭和25年)父.(虚子)が脳梗塞を発症。
1951年(昭和26年)3月号より「ホトトギス」雑詠選者となりました。
1979年(昭和54年)「年尾」の死後、「ホトトギス」は、次女.稲畑汀子に引き継がれました。
句集は、「年尾句集」著者「俳諧手引」ほか。
句碑には、
「そぞろ来て夜の梅林を抜けんとす」
刻字しています。
Facebookでは、
稲田登戸病院跡地.前より
日本の俳人
『高浜年尾』句碑
「そぞろ来て夜の梅林を抜けんとす」
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日本の俳人
『高浜年尾(たかはま・としお)』句碑
「そぞろ来て夜の梅林を抜けんとす」
【所在地】
〒214ー32
川崎市多摩区桝形6丁目
稲田登戸病院跡地.前に建碑しています。
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