
『三世桃隣の句碑』解説
享和元年(1801年)3月3日
碑の刻字
「人は皆去って声あり花に鳥」
この碑は、三世桃隣を慕う門人達によって建碑されました。
因に一世桃隣は、松尾芭蕉の弟子で、元禄7年(1684年)5月8日郷里伊賀に向けて江戸を旅立つ松尾芭蕉を川崎宿に見送りました。
その時、松尾芭蕉は
「麦の穂をたよりにつかむ別れかな」と詠んで、
人々に別れを告げました。
元禄7年、松尾芭蕉は難波で「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」と辞世の句を残して没しました。
すると、深川芭蕉庵の古池の傍にあった柳の大木が枯れてしまいました。
弟子たちは、師を慕ってその木で翁の座像を造り、一世桃隣、二世桃隣、三世桃隣と伝えてきたといわれています。
続く!
川崎大師シリーズ①は、
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