
この倉庫跡は、橘樹郡家正倉院地区Ⅱ基(7世紀後葉〜8世紀初頭)の橘樹評の倉庫跡と推定されています。南北3間、東西3間の高床の掘立柱建物(総柱建物)で、2020年(令和2年)に実施した確認調査において、この建物が東西約5.94m(20尺)南北約5.94m(約20尺)の規模であり、隣接する3棟の倉庫と同規模であることが判明しました。
この倉庫は、建物外側の柱を建てる方法が非常に面白く、まず正方形に溝を掘り、その溝の低底を柱の位置に合わせてさらに方形に掘り下げ、そこに柱を据えています。
また、建物解体時の柱の抜き方も興味深く、調査で確認した柱を抜いた痕跡(柱抜取穴)からは、建物西半分・東半分ごとに、それぞれ東西に隣合う2本の柱を1回の掘削でまとめて抜いていたことが推定されています。
この特徴的な抜き取り方法は、隣接する倉庫跡SB0031・SB0085でも確認されており、これからの建物が概ね同時期に撤去されたことを示している可能性があります。
(解説文より)
続く!