昨日投稿、園内に咲く白梅と紅梅が見頃を迎えた『久本薬医門公園』
「薬医門」
名前の由来となった「薬医門」は、江戸時代後期から代々医者を勤められた岡家の住宅跡地です。
当時の「薬医門」と「蔵」「日本庭園」の一部を残して2007年(平成19年)3月に公園として再生されました。
園内の「薬医門」について解説致します。
一節には、屋の攻撃を食い止める矢食い(やぐい)からきたものと言われています。
また、医者宅の門の脇に木戸を付け、たとえ扉を閉めても四六時中、患者様が出入り出来るようにしていたとも言われています。
「薬医門」は、神社や住宅にも使われることもあり特徴は、切妻屋根の中心の棟が、前の柱と後ろの柱の中間(等距離)に位置せず、やや前方にくることです。
1910年(明治43年)に完成。
当時、七世信一氏が馬で往診に出掛ける際に、乗馬したまま門を通れるように内法を高く造ったと造えられ、令和の時代も現存しています。
門前に置かれた石
「薬医門」右側には..
「岡先生記念碑」解説板
「久本山から大山街道をえて多摩川を望む。」
(明治40年代を)
「岡先生紀徳碑銘」
」
青面金剛が片膝を立てている姿が
珍しい「庚申塔」
道路.側からの「薬医門」
園内からの「薬医門公園」
Facebookでは、道路.側より『薬医門』と
「岡先生記念碑」動画を投稿しています。
KATG事務局