2024年02月16日

《川崎市高津区》『久本薬医門公園』1910年(明治4年)完成 令和の時代も現存する「薬医門」とは?

昨日投稿、園内に咲く白梅と紅梅が見頃を迎えた『久本薬医門公園』
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 「薬医門」
名前の由来となった「薬医門」は、江戸時代後期から代々医者を勤められた岡家の住宅跡地です。
当時の「薬医門」と「蔵」「日本庭園」の一部を残して2007年(平成19年)3月に公園として再生されました。
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園内の「薬医門」について解説致します。
一節には、屋の攻撃を食い止める矢食い(やぐい)からきたものと言われています。
また、医者宅の門の脇に木戸を付け、たとえ扉を閉めても四六時中、患者様が出入り出来るようにしていたとも言われています。
「薬医門」は、神社や住宅にも使われることもあり特徴は、切妻屋根の中心の棟が、前の柱と後ろの柱の中間(等距離)に位置せず、やや前方にくることです。

1910年(明治43年)に完成。
当時、七世信一氏が馬で往診に出掛ける際に、乗馬したまま門を通れるように内法を高く造ったと造えられ、令和の時代も現存しています。

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門前に置かれた石
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「薬医門」右側には..
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「岡先生記念碑」解説板
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「久本山から大山街道をえて多摩川を望む。」
      (明治40年代を)

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「岡先生紀徳碑銘」
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青面金剛が片膝を立てている姿が
珍しい「庚申塔」

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道路.側からの「薬医門」
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園内からの「薬医門公園」

Facebookでは、道路.側より『薬医門』と
「岡先生記念碑」動画を投稿しています。

KATG事務局
posted by KATG事務局 at 22:39| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする