
左側には、川崎市立小倉小学校.正門
住所は、川崎市幸区小倉2丁目20番1号

川崎市幸区幸南加瀬3丁目38番地


川崎歴史ガイド
〜夢見ヶ崎と鹿島田ルート〜
『小倉用水』
夢見ヶ崎の麓に広がる小倉は、稲毛・川崎領の穀倉地帯の一部として知られていました。
しかし小倉付近は、近くに鶴見川が流れているにもかかわらず、その河床が低いため直接水田に水を引くことができませんでした。
そのため、古くは小倉池などのため池の水に依存した地域でしたが、享保年間(1716年〜1736年)、二ヶ領用水と小倉池を結ぶ小倉用水が開発され、米の収穫量を伸ばしたのです。
その一方で、この地域は江戸時代初期から鶴見川の洪水をめぐって苦労も多かったようです。
用水の水門は、6月20日ごろ閉めて9月14日ごろ開けられるまで、水量を調節する大切な役目を果たしました。
また集落には「町堀」とか「村堀」と呼ばれる水路も網の目のように作られ、日常生活にとっても大切な用水でしたが、1955年(昭和30年)頃からの急激な都市化に伴って段階的に埋立てられてしまいました。

川崎市立小倉小学校の北を通る車道をクロスした南角に設置されています。

左側の歩道は、小倉緑道「新川崎」方面
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『小倉用水』解説版が設置されている風情動画を投稿しています。
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