
『小倉のトマトケチャップ工場』跡地
日頃、チキンライスやオムライスにはトマトケチャップ・ソースが欠かせません。
明治初期から川崎市幸区小倉の一帯では、後にその原料となる「あか茄子(なす)」と呼ばれていたトマトの栽培が盛んに行われていました。
栽培方法は..
わらと米糠を重ねた苗床の上に油障子を覆い、夜には筵(むしろ)を被らせるという、現在のビニール栽培と同じことを行っていました。
1918年(大正7年)
これに着目した地元の小峰氏と小沢氏は、これを原料とするトマトソース工場をそれぞれ自宅内につくりました。
当時、トマトソースは、ハイカラな商品で、庶民には縁遠く、販売先も東京の洋食屋へ牛車で売り歩いたということです。
その後、ヤマコ(小沢宅の屋号・川崎市幸区小倉2丁目無量院近く)の製品は味が良く、変色しないので評判を呼び、最盛期には年間20万本を生産しました。
そのほとんどは、末吉橋から水路、横須賀の海軍施設に納品されたそうです。
しかし、1935年(昭和10年)に入ると戦時色が強くなり、トマト栽培も規制され、衰退の一途をたどり、1948年(昭和23年)を境にトマトケチャップ工場は、閉鎖されました。
『小倉のトマトケチャップ工場』跡地は、

〒212ー0054
川崎市幸区小倉3丁目9番3号・付近になりますが解説版は、ありません。
Facebookでは、跡地の現在動画を投稿しています。
KATG事務局
posted by KATG事務局 at 16:58|
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