


説明札を黙読すると、
若き日の道元禅師さま
他はこれ吾にあらず
さらにいずれの時をか待たん

道元禅師さまが24歳の時、天童山で修行中
真夏の炎天下、笠もかぶらず年老いた曲座和尚が手に竹の杖をつきながら仏殿の前で一生懸命

椎茸を干している姿に出合いました。
「お年であるのに他のものを使ってやらせないのか。」
と申すと曲座和尚は、「他はこれ吾にならず」と答えました。
意味(他の人を使っては私の修行にならないのです。)
さらに、道元禅師さまが「もう少し涼しくなってからなさらないのですか。」と申すと曲座和尚は、「さらにいずれの時を待たん。」と答えました。
意味(今、暑いからと言って後回しにしていたら、いったい椎茸はいつ干すのですか。)
そのかけがえのない言葉の意味するもの..
修行するとはどういうことなのか?
生きるとはいかなることなのか?
が、はっきり見えてきたそうです。
正直、現代では何ひとつ苦労せず常に楽することを考える人間も存在する御時世..。
他はこれ吾にあらず
さらにいずれの時をか待たん
かけがえのない言葉は、次世代に引き継ぐ生きる意味が込められています。
Facebookでは、「天童山の曲座和尚と若き日の道元禅師」銅像動画を投稿しています。
KATG事務局