
『鶴澤勝造 碑』
大正5年(1916年)10月
室町時代の末期、びわなどを用いて広く民衆に喜ばれた新音曲の中に「浄瑠璃姫物語」というのがあり、それが非常に好評だったので、その種一連の語り物を浄瑠璃と呼ぶようになったといわれています。
この碑は..
3代目『鶴澤勝造の碑』で彼は天保年中、浄瑠璃三味線の名手といわれた勝造の名を繋いだお方です。
本名は、金田茂吉といいその後、豊沢一造と名のり、ついに勝造と名のりました。
続く!
川崎大師シリーズ①は、
2018年1月27日(土)から
2018年2月6日(火)まで
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