2022年01月31日

《川崎市川崎区》川崎大師シリーズ②真言宗智山派大本山金剛山金乗院平間寺【川崎大師】part15鶴の池エリア③『芭蕉翁句碑』

境内の碑をご解説致します。
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「芭蕉翁句碑」解説

明治21年(1888年)

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碑の刻字
「ちちははのしきりに恋し雉の声」

「己れ生ある間は、子の身に代らんことを念い、己れ死に去りて後は、子の身を護らんことを願う」(父母恩重経)

高野山の静まり返った山中に立って、雉子の声を聞く、その一声、ニ声が杉木立ちにこだまして、
その声に亡き父亡き母を思い出す。
親が子を思い、子が親を慕う人の道は、父母恩重経の中にも説かれているところです。

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寺内由緒が設置され解説しています。

続く!

川崎大師シリーズ①は、
2018年1月27日(土)から
2018年2月6日(火)まで
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KATG事務局
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2022年01月30日

《川崎市川崎区》川崎大師シリーズ②真言宗智山派大本山金剛山金乗院平間寺【川崎大師】part14鶴の池エリア②『三世桃隣の句碑』

境内の碑をご解説致します。
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『三世桃隣の句碑』解説

享和元年(1801年)3月3日

碑の刻字
「人は皆去って声あり花に鳥」

この碑は、三世桃隣を慕う門人達によって建碑されました。
因に一世桃隣は、松尾芭蕉の弟子で、元禄7年(1684年)5月8日郷里伊賀に向けて江戸を旅立つ松尾芭蕉を川崎宿に見送りました。
その時、松尾芭蕉は
「麦の穂をたよりにつかむ別れかな」と詠んで、
人々に別れを告げました。
元禄7年、松尾芭蕉は難波で「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」と辞世の句を残して没しました。
すると、深川芭蕉庵の古池の傍にあった柳の大木が枯れてしまいました。
弟子たちは、師を慕ってその木で翁の座像を造り、一世桃隣、二世桃隣、三世桃隣と伝えてきたといわれています。

続く!

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2022年01月29日

《川崎市川崎区》川崎大師シリーズ②真言宗智山派大本山金剛山金乗院平間寺【川崎大師】part13鶴の池エリア①『小林寒林翠の碑』

境内の碑をご解説致します。
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『小林寒林翠の碑』

明治21年(1888年)8月

小林寒林翠は、旧水戸藩の土族です。
文化11年(1814年)生まれ。
幅広い教養知識のお方で、南画を良くしました。
第38世隆基大僧正の知を得て、寺境に寓しました。
翁の得をたたえる碑面の題額は隆基大僧正、銘文は第39世隆健大僧正の書です。
翠は、明治19年(1886年)9月26日74才で逝去されました。
翁のお墓は、平間寺墓域に西面し「松月院寒林翠士幹居土」とあります。
かつては、大本坊内庭にありましたが、平成29年(当山開創890年)に鶴の池畔に移設されました。

続く!

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