
二ヶ領用水が流れる道脇にひっそりとある石碑

その右側には、小さく古い石柱があり「紺屋前堰記念碑」と刻まれています。



「紺屋前堰記念碑」(中央)と「水門柱」(右側)発起人の名が刻まれた石碑(左側)
「此の石碑は、紺屋前の石碑という徳川の初期の頃、登戸一帯の農作物其の他人間生活を支えてきた取水口です。
昭和38年土地改良工事につき堰を取り拂うことになり我ら遠き先祖とともに歩んできた堰に感謝の意を表し茲に登戸の紺屋前堰跡として之を建立する 昭和四十九年五月 吉日 発起人一同」と刻まれています。
KATG事務局