
現在は、コンクリート造りになっている橋には、

「二枚橋」と記され欄干には、


義経と弁慶の絵柄

歩道には、由来の説明版が地元.高石町会の皆様により設置されています。

反対側にも..

【二枚橋】
治承4年(1180)の秋
源頼朝が平家を滅ぼそうとした時、義経が奥州平泉から弁慶たちを従えてここを通りかかり、弁慶たちが馬も通れるようにと橋を作り直しました。
横から見ると、のし餅を二枚重ねたように見えたため、「二枚橋」と名付けられたという言い伝えが語り継がれています。

川底を除いて見ると、
赤い実がなっていました(^_^)
KATG事務局
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『二枚橋』
【所在地】
〒215ー0005
川崎市麻生区高石3ー32
小田急電鉄「読売ランド前駅」下車
西へ徒歩6分
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